2020年12月末で今の仕事を辞めることとなった。20代にして2度目の退職となる。
以前も退職記事を投稿しており、当時書きながら「もう退職なんてしねえわ」なんてことを考えていたが、前回務めた3年半よりも短い2年半近くでの退職となってしまった。なんと情けないことか。
忍耐力がない、社会性がないといったパーソナルな課題はあるだろうが一旦それは置いておいて、前回より早々に退職した理由というのは明確に自分の中に持っているので、備忘も兼ねて自分のためにも書き残しておきたいと考えたため久々にブログを更新する。
(あらためて前回の退職記事を読むとなかなかパンチが効いていて、今回は前回ほどのネタ性がないので読み物としてはイマイチかと思われる)
前回の転職を振り返ると、同業大手への転職によるキャリアアップ、労働環境の改善、生活環境の変化などを求めており、それは綺麗に実現された。残業は100h→25h程度、家から最寄り駅へも徒歩100分→7分へと劇的に改善がなされたのだった。
それにもかかわらず早々に退職することとなったわけだが、これは生きることにいっぱいいっぱいで視野狭窄だった前職に比べて余裕が出てきたことによって、人生の送り方だったり仕事との向き合い方についてじっくり考えた結果かと感じている。
ということで、それっぽい雰囲気を出すために今回退職理由のポイントとして①業務内容、②人間関係、③企業体質の3本立て構成にて、下記の通り今回の退職意思決定プロセスを振り返ることとする。
①業務内容
大枠から言うと、公共機関を相手にしたシステムベンダというかSIerの営業として前回も今回も働いていた。SIerが何なのかというのはおおむねこのサイトにて簡潔に説明されている通りで、まあシステム関係のこと全部請け負いますというものだ。
前職は営業が現地SEとなってその顧客(公共機関)のシステム関連の業務を導入から運用保守まで全て行うというもので、どちらかといえばこの働き方がイレギュラーというかもはや通常のSIerの形を成していないのだが、今思えば営業とシステム開発担当のみで全てが解決するこのスキームは合理性の極みだったと感じる。前職在職時は私はこれが当たり前だと思っていたので、通常のSIerの在り方を理解していなかった。
最近SNSやらでもよく話題として見かけるがシステム業界は多くが建設業界のように多重下請け構造になっており(ITゼネコンとか言われている)、所謂一次請会社の営業がユーザから案件受注し、その後同会社の設計部隊に回して、そこから実働部隊を下請け会社へ発注してその人員たちでシステム構築、その後の運用保守をしていくというのが主流だ。※認識違ってたらすみません
前回も今回も一次請の会社で営業として従事していたという点では同じだったのだが、それはあくまで肩書きの話である。前回は一人でその多重構造を担っていたので営業というよりはほぼSEのような働きをすることがほとんどだった。そして今回はというと上記のような一般的なSIerで、完全に分業された中での営業としてのタスクを与えられた。入社後、私はなんと当営業部の最大の売上予算を持つユーザ(某公共機関)の担当営業に任命され(入社してから担当が決まるまで1ヶ月放置されていたが)、そのユーザのためだけに全てを注ぐよう命じられた。この営業とは顧客へ提案して案件をとってくるような一般的な営業ではなく、公共機関ならではの政治めいたことをコントロールしつつ失注をしないように顧客をキープし、年間200近い数の契約事務をひたすら行うという営業だった。技術的な話は一切せず、システムに触ることもなく、既存顧客と円滑に契約を進めるための活動に専念することとなった。
私は前職でのSE的な働き方が染みついていたので、営業がシステムに触らないし知らなくていいなんてことが考えられなかった(というかシステムわかってない営業が顧客と何を話せるんだ、普通にダメじゃないか?)し、担当顧客は長年の付き合いのズブズブの関係で独自ルールというか暗黙の了解のようなものが多すぎたりで、正直2年経っても馴染めなかった。
そしてそのユーザ様のためだけにプロジェクトルームと称して治安クソ悪の駅の前のオフィスビルの1フロアを借りて、営業や下請け会社のSEさんたちも含め数十人がそのプロジェクトルームに籠り切りで従事しており、あまり会社には行くことがなく、私はその閉塞感に耐えられなかった。たまに事務処理などで会社に行くとみんなに「久しぶり」と言われる。
私の上長の営業部長はこのプロジェクトルームを嫌っており「独自国家」などと呼んでいたが、その独自国家の排他性ゆえに新しい考えを取り入れるようなこともなく、古株というか率直に言ってしまえば老害の方々が幅をきかせており、人の入れ替えもないのでレガシー的な時代遅れの仕事となっている。下請けの古株SEによる若手営業いびり(毎日電話で1時間ムダな説教とか)もあり、私に限らずここ10年内でこのプロジェクトに入った若手営業は全員辞めている。
やや話が業務内容から脱線してきたので軌道修正する。
営業には技術的なことは一切関与させてくれないのにシステム障害発生時などの全体指揮、顧客謝罪対応などは営業タスクとなっている。システムごとにPL(プロジェクトリーダー)もいるし、営業じゃなくてその人たちがとりまとめればいいんじゃないか?営業って何のためにいるんだ?と毎日考えていた。障害連絡や業務時間外作業状況報告に反応するために夜中でも休日でも常に携帯はチェックしておく必要もあった(友人らとキャンプやら旅行やらしていてもその行先で仕事をしていたということが何度かあった)。色気を出して新規案件の提案などしようとするとSEたちに「余計な提案するな」と言われるので、本当に自分のいる意味がわからなかった。
といった不満点はいくらでも出てくるが、その不満以前に私は地獄の前職で培った顧客の業務知識だったりシステムの知見を活かして活躍したいと考えて転職してきたので、このプロジェクトでの業務内容がまったくもって性に合わず、単純にミスマッチと言わざるを得ない。
②人間関係
基本的に会社へ行かず前項で記載したプロジェクトルームへ行っていたので、人との関わりはプロジェクト内がメインとなる。が、プロジェクトの人間はほぼ皆が40歳前後に分布しており個人的な話もなく、飲みに行くこともなかった(SEは全員が超多忙ゆえ)ため、対等な人付き合いというよりは仕事の下っ端としての扱いだった。したがってそもそも人間関係と呼べるほどの関係はなかった。
前職はみんな働きすぎで頭がおかしくなってこそいたが、それでも年齢も近しくみんなでよくコミュニケーションをとり和気あいあいとした働きができていたなと今になって感じている。生活環境と労働時間がバグってただけで、そのあたりは本当にいい職場だった。飲みニケーションというわけではないが、職場の人間関係の充実度は労働の満足度に直結しているように思える。
そんな人付き合いの希薄な職場ではあったが、唯一非常に濃ゆい人間関係を形成した方がおり、この会社での仕事はこの人抜きでは語れない。私のいたプロジェクトでは営業が一人では業務がまったく回らないので常に二人一組で仕事をしていて、その相方というか先輩、通称ホリさんといつでも連絡をとりあい仕事を進めていた。私にとってここで働くということはホリさんと仕事をするということと同義であった。
この方が非常にパワフルな人で、このプロジェクトに10年くらい従事しており、この人の下についた者は全員が辞めている(これは前項での話とリンクする)。営業はそんなに長い期間同じ人間がやると癒着だったりが疑われるので基本的にNGのはずなのだが。
朝4時にメールがきたかと思えば夜1時にもメールがきたりいつ寝ているかが不明で、指示通りに仕事をすると顧客に怒られたり、とにかくこの人と仕事をすると振り回される。機嫌が悪いと当たられたりもする。このプロジェクトの顔のような人でなんせここで営業担当を10年もしているものだからここでの仕事の進め方に詳しく(でも指示誤りが多いのでとばっちりをかなりくらう)、新入り後輩としてはこの人に振り回される以外の立ち回りができない。声が大きく誰にでもフレンドリーで人の予定を考えずにガンガン打ち合わせをセットする典型的なイケイケタイプで、私とは対極にいる人間だった。
とまあ、これだけ言うと非常に嫌いなように聞こえるかもしれないが、確かに一緒に仕事していて相当しんどいことは多かったが、不思議と目先の仕事ではなく業界全体の展望だったり人生だったりと大きい枠での話をすると噛み合い、よくランチでそういう意識の高い話をしていたがその時間はとても有意義に感じていた。退職についても「当然の判断」という言葉をいただき理解もしてくださり、感謝している。プライベートの連絡先も交換し、今度もご飯やら飲みやらキャンプやらで付き合いが続いていく見込みである。しかし二度と一緒に仕事はしたくない。
この人と一緒に仕事するのがしんどく、しかし他にろくに話す関係になれるような人付き合いがなかったため退職を考え始めてから実際に退職するまでがスピーディだったと感じる。案外人は仕事そのものよりも人のつながりだとかでもう少し頑張ろうだったり思いなおすことがある気がするのだが、そういったものが一切なかった。逆に清々しく辞めることができて助かっている。
③企業体質
この会社、いにしえからのザ・日本企業でネームバリューは相当にあるのでお国が絡む仕事でSIerとしてやれているのだが、実態としてはここに記載ができないようなナンセンスなことだらけで、自分のやっている仕事に誇りが一切持てなかった。桁を間違ってるんじゃないかと思ってしまうような見積を出すたびにお客様に本当に申し訳ない気持ちになっていた。
管理職からの指示も仕事のための仕事というか、その資料何に使うの?とかその打ち合わせ何の意味があるの?といった無駄が多く耐えきれず、前項に登場したホリさんとはこの会社のそういった無駄についてよく意気投合していた。実際のところそういった無駄と思われる仕事の大半はその課長職あたりが仕事をしているように見せかけるために利用されているだけであり、本質的じゃないそういった見せかけの仕事だけをして年収4桁万を超えているような管理職だらけで、確かにそういったぬるま湯で高給というのが会社の魅力なのかもしれないが、このスタンスの人間だらけではもうこの会社に未来はないなと思って見切りをつけた。そんなしょうもない管理職たちはあと10年くらいを逃げ切ればいいので仕事についてなんて真面目に考えていないのかもしれない。
会社としても、他社に勝る武器もなく、会社の看板だけで仕事をしているとしか思えず、そのくせにいっちょまえにプライドだけが肥大していて、どう考えてもイケてなさすぎる経営戦略だったりわけのわからない指示だけ降りてきて、こんな会社で働いてる自分が恥ずかしくすら思えた。
配属されたプロジェクトを出たくもあり、そしてあまりにイケてない戦略だとかを他社からきた人間として改善したいという思いで異動を上長へ何度も申し出たが受け入れられることもなく(後からわかった話だが私からそういった希望があることを部課長間で共有すらしてもらえていなかった)、もう頑張るだけ無駄と思ってしまった。
おわりに
上記3点から考え、私が仕事に求めるものというものが見えてきたため、そういったことが実現できそうな仕事への転職を決め、1月から新しいスタートを切ることとなる。
退職交渉について、前職では激しい引き留めにあったが今回は誰も引き留めるどころか「そうなるよね…」「ごめんね…」といったリアクションで、すんなり辞めることができたのはよかった。まあ辞めて誰もが納得な仕事をさせないでほしかったけれども。
ただ、退職の送別の品は前職でもらったクソ酒と異なり私の趣味を考慮した品で、考えてチョイスしてくれたんだなあと感動した(ホリさんチョイス)。
すぐに辞めてはしまったが、閉ざされた世界だった前職からこの世界に出てきて様々なことに気付けてとても貴重な2年数か月だったと感じている。あと、転職はめんどくさいのでもうしたくない。